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バッハの生涯は真面目で頑固なマイホームパパ

皆さん音楽の父と言われるバッハは真面目で頑固なマイホームパパだとはご存知でしょうか?

歴代のクラシック音楽家の中でもお堅いイメージのあるバッハ。モーツアルトの様に神童という訳もでもなく、ショパンの様に貴公子でもない。作品自体も「小難しい」、「いかめしい」というイメージ以外なかなか湧いてこないのではないでしょうか。

姿形はどうだったかというと、彼の死後、頭蓋骨から石膏をとって復元したことろ肖像画の通りだったらしい。

バッハの人生はあまり面白くない?

ではその人柄や人生はどうだったかというと・・・

バッハは1685年3月21日、ドイツ・アイゼナハで敬虔なプロテスタントの音楽一家の家に生まれました。

家族の影響もあり、当然の様に音楽家になりドイツ各地の教会や宮廷に勤め、生涯1000曲以上の作品を作り続けて65歳で亡くなりました。

と、まあこれぐらいで彼の人生をまとめると済んでしまいます。女性がらみのスキャンダルはゼロ。難聴になったベートーベンの様に悲劇性もなく、ワーグナーのようにギラギラした野望の物語があるわけでもない。

残念ながらゴシップといった面白い話ははっきり言って何にもナシ!

つまり、彼の才能は非凡だったけど、当時の音楽家としては以外と平凡だった

生涯ドイツから出ることもなかったし、これといった人生の山場もなくて、物語を書きにく人なのだ。

でも、それじゃあ話にならないので、彼の魅力をあぶりだす為にバッハの人生をもうちょっと詳しく見てみよう。

子供はなんと20人。現代人も真っ青の働くお父さん!

バッハが本格的に演奏家・作曲家として歩み始めたのは18歳の時。ルンシュタットの新教会のオルガニストとしてキャリアをスタートさせた。

そして22歳でマリア・バレルと結婚。25歳で一児のパパになり、38歳でライプツィヒで教会の教師兼音楽監督という職につき65歳で亡くなるまでその地で働き続けた。

つまり、フラフラ時期はなく、人生の大半をどこかに所属してしっかりお勤めをしていたことになる。

特にライプツィヒ時代のバッハは声楽や楽器を教えるほか、生徒の日常生活を監督する仕事、生徒たちの聖歌隊を監督する仕事、聖歌隊の為にほぼ毎週1曲のペースで新作のカンタータを作曲。

それだけでも激務なのにその上、生徒たちの練習に付き合い、本番は指揮をこなし、重要人物の結婚や葬儀にはそれ以外の曲を作ることもあった。まさにノルマに追われて死ぬまで働く現代のサラリーマンと変わらない。

そんな激務に耐えながらも当時は才能を崇められ、特別待遇が良かった訳ではない。

ではなぜバッハはこれほど地道に働き続けたのだろうか?

それは家族だ。25歳でパパなってからその後も6人の子宝に恵まれた。(内2人は早生)

22歳で結婚したマリア・バレルが35歳で亡くなると、翌年には20歳下のアンナ・マグダレーナと再婚。それからは毎年のように子宝に恵まれ、一番下の娘が生まれた時はなんとバッハ56歳!結局生涯20人もの子宝に恵まれた。

これだけの子供を養うと考えれば、生活費だけでもそれなりの額が必要だったはず。機を見て打って出る生き方はとても出来ず、定職について安定を確保する以外有り得なかったのではないか?

音楽で結ばれた、温かい家庭

20歳でという若さで4人のコブ付きと結婚を決意したアンナ・マグダレーナから見ればバッハは頼れるお父さんだったに違いない。彼女は主婦として家庭を切り盛り、たくさんの子供たちの面倒を見ていた。

さらにアンナ・マグダレーナはバッハの写譜を手伝うこともあったらしい。実際に彼女の手による楽譜がたくさん残っている。

バッハそんな良くできた幼妻にむけて、2冊の楽譜帳を贈っている。その名も「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」この曲集ことバッハとアンナ・マグダレーナが音楽で結ばれた、温かい家庭を築いていた証拠だろう。

ところで冒頭でバッハのイメージを「小難しい」、「いかめしい」と書いたけれど彼の作品はそうした曲ばかりではない。

当サイトでも眠りた時におすすめしているG線上のアリアをはじめ、美しいメロディーの作品のたくさん書いている。